武生へ:『極 池上遼一展』:#4 講演会『劇画家 池上遼一ができるまで』:越前市福祉健康センター 多目的ホール

from Otoshibumi:2019年8月10日

 池上先生の講演会は、珍しいです。ので、今回の旅行の日程は、池上先生のこの講演会を聞くために設定されました。

講演会会場の様子

 この講演会の前に、池上先生は、越前市文化功労者の表彰をされました。池上先生は、市長さんから大きな賞状を授与されていました。おめでとうございます。

越前市文化功労賞を受けた会場

 今回の講演会の題は『劇画家 池上遼一ができるまで』というもので、武生での思い出や劇画家となった今までの歩みを語っていただこうという企画だったようです。
 これを受け、池上先生は、「僕が克服した壁」と「僕を作っていただいた人々との出会い」の2部構成で、お話になりました。

 「僕が克服した壁」は、幼少期の武生での思い出から始まり、時代を順にたどりながら、先生が経験された4つの壁について、話されました。
 一つ目の壁は、大阪時代の後半、漫画家になれなかった時代の話。ガロでの『罪の意識』の入選から、水木しげる氏のアシスタントになるまで。
 二つ目の壁は、暗いものしかかけない格闘。小池一夫氏とのバイオレンスもの、復讐ものである『I・餓男』と『男組』の成功まで。
 三つ目の壁は、高橋留美子氏のラブコメの台頭。小池氏と自分たちの道を貫くことでの脱出まで。
 四つ目の壁は、大友克洋氏などの若手の台頭。そして、現在まで。

「僕を作っていただいた人々との出会い」 では、武生小学校での担任の先生の話に始まり、大阪時代の看板屋の大将の話。水木しげる氏、つげ義春氏の話。そして、池上先生とタッグを組んできた原作者、小池一夫氏、雁屋哲氏、工藤かずや氏、史村翔/武論尊氏の思い出やいただいたお言葉について語られました。

 最期に、マルティン・ルターの次の言葉で締められました。池上先生の座右の銘だそうです。

「たとえ明日、世界が滅びようとも、私は今日、リンゴの木を植える」

池上先生が講演された椅子
受付に置かれた花

2019年8月17日記